続き

ヘルバルトの教育目的論がそうであったように、教育の目的は、だれに対してもあてはまる目的として、一般的に述べられるのが普通である。教育の目的は、ひとりひとりの子供を、そこに到達させなければならないものというよりも、教育的な努力が、それに沿ってなされなければならないものである。つまり、教育の目的は、ゴールを示しているというよりも、ルールを示しているのであり、スポーツ競技のルールと同じように、だれに対しても等しくあてはまるものである。そのために、教育の目的は一般的なものであると同時に、公共的なものでもなければならない。日本の教育関係の法規のなかで、最上位に位置する「教育基本法」は、その第1条で、「教育は人格の完成をめざし……」と規定している。学校をはじめ、すべての教育事業は、この目的に沿って行われなければならないのである。

 それに対して、ひとりひとりの子供に実際に到達させることを目ざす目的が「教育目標」である。教育の目標は、ひとりひとりの子供の実態をよくみたうえで、その子供につけたい能力や資質を具体的に想定したもので、それが実際にどの程度達成されたかが、実践の適否を判断する基準にもなる。したがって、教育目標はできるだけわかりやすく、明確に記述されることが望ましい。たとえば、思考力や判断力のような目に見えない能力についても、目に見えるひとつひとつの行動の変化に翻案して教育目標を記述するようなやり方が、1950年代、1960年代のアメリカで提案されたこともある。それが「行動目標論」である。

 現代日本の学校教育では、この行動目標論をやや緩和して、各教科ごとに、学年別の到達目標をいくつかたて、それを基準にして児童・生徒の成績の評価を行っている。この評価法は「観点別評価」とよばれている。教育目標論は教育評価論と密接に連動している。[宮寺晃夫]

人間と教育