近代教育の理念と展開

近代教育の理念と展開

 

 近世ルネサンスの時代を迎え、形成されるべき人間像は鋳型のような画一的なものから解放されるようになる。教育研究も、単なる教え込みの技法の開発にとどまらず、形成されるべき人間像の描き直しを含めて、本格的に展開されていく。そのとき、まず批判されたのは、これまで子供たちに、カテキズムによる暗唱やラテン語の文法の暗記だけを強制してきた学校の教師たちであった。エラスムスラブレーのようなルネサンスの代表的な人文主義者の著作では、学校の教師は、教会の権威者と同じように、しばしば戯画化されて描かれている。

 教会などの権威を背景に人間像を描くのではなく、人間をその本来の姿で描き出すためには、読み書きのような知的な能力に訴えるのではなく、身体や感覚の力のような、だれもがもって生まれる能力に焦点をあわせていくことが必要であった。16世紀には、言語verbumよりも実物resがもつ教育力に着目して、新たな人間像を描き出そうという実学主義(リアリズムrealism)の教授法の改革者が相次いで現れ、ヨーロッパの諸邦に人間形成の技法を説いて回るようになった。ラトケをはじめ、そうした教授学者たちの試みは、宗教上の対立や、国家間の利害の衝突で、長く平和な時代が遠のいていたヨーロッパに、国家を超えた新たな枠組みを築こうという壮大な願いに基づいていた。[宮寺晃夫]