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英語のeducationおよびフランス語のエドゥカシオンducationということばの語源については、諸説があって解釈が定まってはいない。通説によれば、それはラテン語のエドゥカーレeducareに起源があることばだとされている。そしてeducareは、「外へ」という意味をもつ接頭語e-と、「引く」という意味をもつ動詞ducareとの合成語で、「(子供の内側にある)能力を外に引き出す」という意味をもつと解釈されてきた。ドイツ語でも、同様にラテン語educareの趣旨を取り入れて、er-(外へ)とziehen(引く)との合成語として、エアチーウングErziehungということばが造られている。

 ただし、ラテン語のeducareには、もともとそうした「内側にあるものを引き出す」という意味はなかったとする解釈も根強くある。かりに、「内側にあるものを引き出す」という意味に対応するラテン語をさがすとすれば、educareよりもエドゥケーレeducereの方がふさわしいからである。したがって、「教育とは、語源的には詰め込むことではなく、引き出すことである」という解釈は、なかば思い入れが込められた「改釈」で、それがいつのまにか通説として流通するようになった、というのが真実であるように思われる。

 この「(内側にある)能力を引き出す」ことが「教育」の原義だ、という解釈は、それまで、「上から施されたことを下から習う」こととして受け取ってきた日本人の「教育」の語感に、大きな変化をもたらした。その変化をもたらしたのは、個人の意思を尊重する西欧の近代思想と、「子供の発見」以来の新しい教授技術の到来である。なかでも、明治10年代から20年代にかけて、翻訳書やお雇い外国人教師や、また日本からの留学生を通してアメリカからもたらさられた開発主義の教授法は、初等教育のあるべきモデルを日本に伝えた(若林虎三郎・白井毅編纂(へんさん)『改正教授術』1883~1884)。それは、藩校での講読法や寺子屋での手習いのような知識の一方的な注入や模倣だけをねらいとする伝統的な方法にかわる、事物を実物やその絵図(双六(すごろく)図などの掛図)で示しながら、教師と生徒の間で対話を進めていくという教え方、つまり問答法であった。事物を自分の目で直接みる(=直観する)ということを通して、生徒自身にその印象を語らせ、自分で知識を蓄えていく。同時に、ものをみる力や考える力、判断する力を育てていく(=開発していく)という方法である。この直観主義の教授法や開発主義の教授法を、当時の文部省は初等教育を推進する国の方針として積極的に採り入れたが、この教授法の普及に伴い、日本でも、アメリカ・ヨーロッパ諸国の場合と同じ水準で、「教育」ということばが普及する。単なる知識の詰め込みや、教師による一方的な教え込みをさすことばではなく、子供の側の活動や自発性を促していくキーワードとして、明治期以降、日本語の語彙(ごい)のなかに根づいていった。

 「教育」ということばは、広義にも狭義にも使われる。また、教育の営みや働きは、巨視的にも微視的にも眺められる。