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20世紀の教育改革運動の諸相

20世紀の教育改革運動の諸相

20世紀を目前にして、スウェーデン社会運動家エレン・ケイは『児童の世紀』(1900)を書いている。そのなかでケイは、きたるべき新しい世紀には、子供が大人たちの勝手な支配から解放され、子供の幸福が真に保障されることになるであろうと予言した。もっとも、ケイの趣旨は、優秀な種だけを後世に残すように、社会が優生学の発想を採りいれるべきである、ということにあったのであり、問題を含んでいた。ケイの予言どおり20世紀には、子供は児童労働から解放され、学校教育が保障されるようになったばかりでなく、ムチと罰で学習を強制されるような教育の方法から解放されていった。しかし、そうした教育の改革が真に子供の幸福をもたらしたかどうかは、別の問題である。

 19世紀から20世紀にかけて、「新教育」あるいは、「改革教育」を標榜する教育の実践家や理論家が世界各地に現れた。彼らが共通にいだいていたのは、子供の教育法を改革することによって、社会そのものを改革していくことであった。ドイツでは、ケルシェンシュタイナーが、デューイが唱えた活動主義教育を、将来の国家・社会の担い手としての「公民」形成に応用していこうとした。彼は、将来の学校は「作業学校(アルバイト・シューレ)」でなければならないとした。子供は、作業に取り組むなかで、作業が要求する「事物に即した考え方」をすることに習熟するだけではなく、勤勉さという徳や奉仕の精神をも身につけていく。作業の道徳教育的な効果に、ケルシェンシュタイナーは注目したのである。また同じドイツで、子供たちを都会から引き離して、郊外の学校に入れ、そこでの集団生活を通して将来海外に雄飛していく人材を訓練していこうというこころみも盛んに行われた。このような学校は、「田園教育舎」とよばれた。

 国家目的と結びついた教育改革とは反対に、社会の現状に飽き足らずに、社会体制の変革を教育改革に託す人々もいた。イギリスの新教育の一翼を担ったニールAlexander Sutherland Neil(1883―1973)はその典型である。ニールは、支配する階級と支配される階級とに分かれてしまっているイギリスの社会をそのまま反映している教育状況を改革しようとした。そのために、ニールは、将来の子供たちに、人を支配しようとする気持ちや、人に依存して生きていこうとする気持ちが芽ばえないようにすることが重要だと考えた。歪んだ気持ちが芽ばえてしまうのは、子供が家庭や学校で、道徳や宗教を注ぎ込まれた結果、かえって罪悪感を抱くようになってしまったからである、とニールはみなした。とくに子供は、性に関する考え方と行動について、潔癖さのみが期待されてきたため、その抑圧から、虚偽に満ちた生き方をしてしまうことになる。そこで教育の課題は、なにより子供を抑圧から解放することでなければならなかった。ニールは、自分で設立した学校のサマーヒル学園で、出欠をとることを廃止したり、喫煙を許したりするなど、生徒たちの自由な判断を最大限認めた教育環境をつくった。ニールの実践に思想的なよりどころを与えたのは、フロイトの弟子で精神分析の技法を開発したW・ライヒであった。ライヒは性の解放と政治的解放とを結び付けた左翼系の精神分析家として知られていたが、ニールもまた、抑圧からの解放によって自由人をつくりだし、その自由人たちの共同体として社会をつくりかえようとしたのである。サマーヒル学園は1921年に設立され、ニールの死後、2000年現在なお自由教育のモデル校として存続している。[宮寺晃夫]