2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

19世紀の教育事情、とくに教育改革運動

19世紀の教育事情、とくに教育改革運動 アメリカは18世紀後半から、産業革命およびそれに付随する経済活動の拡充で目覚ましい発展を遂げた。もっとも、1819年、1837年、1859年と近代的な経済恐慌にみまわれてはいる。一般的にいって、アメリカの近代産業化は…

高学歴時代の教育

高学歴時代の教育 〔1〕生涯教育 高学歴の社会において、学校教育は表面上、制度的、形式的にいっそう振興した印象を与えている。しかし、急激な社会構造の変化、技術革新の波、余暇の増大などは、人々に生涯教育の必要を痛感させるまでになった。限られた学…

西洋文化摂取の教育

西洋文化摂取の教育 1872年(明治5)「学制」が発布され、国民教育制度がスタートした。当時の日本の切実な課題は殖産興業と国民皆兵であった。この課題の達成をめぐる問題が、日本の近代教育制度の展開を特色づけた。 (1)明治5年の「学制」発布 「学制」は…

日本の国民教育制度

日本の国民教育制度 日本の国民教育制度の成立事情は、ヨーロッパ諸国のそれと比較して著しく異なっている。なるほど、日本の学校制度のなかには、ヨーロッパの学校制度の模倣・移植が若干みいだされる。たとえば、統一学校がそれである。しかしそれは、見せ…

教育の機会均等と義務教育

教育の機会均等と義務教育 教育の機会均等は、国家がどういう形であれ、教育制度の構成と運営に参画することで達成される。このことは、義務教育の場合に明らかとなる。すなわち、国家の側からの教育の強制は、保護者がわが子に教育を受けさせる義務をもつと…

続き

英語のeducationおよびフランス語のエドゥカシオンducationということばの語源については、諸説があって解釈が定まってはいない。通説によれば、それはラテン語のエドゥカーレeducareに起源があることばだとされている。そしてeducareは、「外へ」という意味…

日本における教育権の変遷

日本における教育権の変遷 日本では、国家の教育権が明治の欽定(きんてい)憲法(大日本帝国憲法)下において、教育大権ないし勅令主義という形で、教育の義務づけや内容決定を行った。国家の教育権が法制定に完全に貫かれていたわけで、各学校令(勅令)は教…

教育権と学習権

教育権と学習権 近代教育の理念は、教育権や学習権の問題を究明することによっていっそう明らかとなる。自我の自覚は人権思想を生み、近代教育思想は、この人権思想に基づいて子供の権利を発見した。そして、この問題は教育行政理論において、国民の教育権保…

教育の現代化

教育の現代化 第二次世界大戦後、教育方法の改革に国家が本腰を入れて取り組むようになるきっかけをつくったのは、ソビエト連邦による世界最初の人工衛星の打上げ成功(1957)であった。アメリカは、この「スプートニク・ショック」によって科学技術の立ち後…

日本の新教育運動

日本の新教育運動 「新教育」の名のもとでの教育改革運動のうねりは、日本にも及んでいる。それは主として大正時代に集中しているので、「大正新教育」とも、「大正自由教育」ともよばれるが、その発端は、明治時代末期の画一主義的な教授法への改革として始…