2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

20世紀の教育改革運動の諸相

20世紀の教育改革運動の諸相 20世紀を目前にして、スウェーデンの社会運動家エレン・ケイは『児童の世紀』(1900)を書いている。そのなかでケイは、きたるべき新しい世紀には、子供が大人たちの勝手な支配から解放され、子供の幸福が真に保障されることにな…

マカレンコと集団主義

マカレンコと集団主義 ソ連の教育実践家マカレンコは、20世紀の前半に、社会主義国家の建設という新たな課題を担うことができる人間像を、描こうとした。マカレンコは、非行少年の再教育に携わってきた経験を生かして、子供たちに、自分勝手なエゴに基づく行…

デューイの教育思想

デューイの教育思想 アメリカのプラグマティズムの哲学者として名高いJ・デューイも、社会主義や進化論などの新しい考え方がわきおこった19世紀後半の思想状況のなかで、さまざまな人々から豊富な刺激を受けながら自分の思想をつちかっていった。19世紀末に…

ヘルバルトの教育論

ヘルバルトの教育論 そうした「講壇教育学者」とよばれる人々のなかで、最終的に教育学を自由意思の哲学から切りはなして、自立した学問に仕上げていったのはヘルバルトである。教育学は、子供の頭のなかの思想界を、どのように形成していくかという実際的な…

近世教育論の諸相

近世教育論の諸相 近世最大の教授学者は、チェコ人のコメニウスである。コメニウスは、祖国が三十年戦争にみまわれるなか、国内外で逃亡生活をしいられながら、教授法の改革による世界平和の実現を説いて回った。その主著『大教授学(ディダクティカ・マグナ…

近代教育の理念と展開

近代教育の理念と展開 近世ルネサンスの時代を迎え、形成されるべき人間像は鋳型のような画一的なものから解放されるようになる。教育研究も、単なる教え込みの技法の開発にとどまらず、形成されるべき人間像の描き直しを含めて、本格的に展開されていく。そ…

古代・中世における教育研究

古代・中世における教育研究 社会が、その成員によって価値観を共有されていて、伝統的な慣習や習俗が、そのまま保たれている状態にある限り、「教育はどのように営まれるべきか」というような、改まった問い直しがなされることもない。しかし、その社会のな…

教育の社会史

教育の社会史 事実としての教育ばかりでなく、実践としての教育も、その歴史は人類史とともに古い。子育てやしつけの技法は、親から子へと連綿と伝えられてきたし、また、それぞれの社会には、「一人前」として認められるための目安が受け継がれてきた。一日…

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ヘルバルトの教育目的論がそうであったように、教育の目的は、だれに対してもあてはまる目的として、一般的に述べられるのが普通である。教育の目的は、ひとりひとりの子供を、そこに到達させなければならないものというよりも、教育的な努力が、それに沿っ…

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教育することができ、また教育することが必要となる理由についても、個人の観点と社会の観点の両面から考えることができる。 近代ドイツの哲学者カント(1724―1804)は、18世紀の末になされたケーニヒスベルク大学での教育学講義のなかで、「人間は教育され…

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二つの教育観 教育が果たす役割についてみていくときにも、二つの観点がある。まず、微視的な観点、すなわち個人に焦点をあわせた観点からすれば、教育とは潜在的な発達の可能態として生まれてくる人間(子供)に働きかけて、その可能態を現実態にしていく営…

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教育」をもっとも広義にとらえるならば、教育は人間の身体面・精神面のどちらの面にも影響を与えるすべての作用をさしている。その作用には、家庭生活や社会活動を通して自然に与えられる影響のように、作用を及ぼす者、作用を受ける者両者ともに意識してい…

日本教育の概念は

日本でも、「教育」ということばは、外来語として上代以来『孟子』の出典箇所とともに知識人の間で知られていた(あるいは、使われていた)と思われるが、日本人が書いたもののなかに登場するのは、江戸時代になってからである。しかし、江戸時代の中期まで…

教育について考えていきましょう。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典では、 教育(きょういく)とは教え育てること。知識,技術などを教え授けること。人を導いて善良な人間とすること。人間に内在する素質,能力を発展させ,これを助長する作用。人間を望ましい姿に変化させ,価値を実現…